東京地方裁判所 昭和38年(ワ)7206号 判決 1966年1月31日
原告(反訴被告) 篠原泰
被告(反訴原告) 東光証券株式会社
主文
原告(反訴被告)の請求はいずれもこれを棄却する。
被告(反訴原告)の反訴請求を棄却する。
訴訟費用は本訴反訴を通じこれを二分し、その一を原告(反訴被告)、その余を被告(反訴原告)の負担とする。
事実
第一、原告(反訴被告、以上単に原告という)訴訟代理人は、本訴につき「被告(反訴原告、以下単に被告という)は原告に対し、別紙<省略>第一目録記載の株券を引渡し、かつ金五二、〇四六円を支払え。もし右株券の引渡につき強制執行が効を奏しないときは、その限度において、被告は原告に対し、日本製鋼株式会社株式については一株につき金一三九円、安川電気株式会社株式については一株につき金一二一円、久保田鉄工株式会社株式については一株につき金一六三円、松下電器株式会社株式については一株につき金二七五円の各割合による金員を支払え。被告は原告に対し、別紙第二目録記載の株券の交付を受けるのと引換えに、金二五〇、〇〇〇円を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決と仮執行の宣言とを求め、反訴につき主文第二項同旨及び「訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、本訴請求の原因として、
被告は証券取引法にいわゆる証券業者であるが、
(一) 原告は被告に対し、昭和三七年一月一〇日別紙第一目録記載の株券を期限の定めなく預託した。しかるに、その後原告が右株券の返還を求めても、被告はこれに応じない。
そこで、原告は被告に対して右株券の引渡しを求めるとともに、その返還を請求した後である昭和三七年九月及び翌三八年三月の各決算期にそのうち1、2の会社株式について配当のあつた年八分の割合による利益金三〇、〇〇〇円、3の会社株式について配当のあつた年一割五分の割合による利益金五、六二五円、4の会社株式について配当のあつた年一割六分の割合による利益金六、二九六円、5の会社株式について配当のあつた年一割八分の割合による利益金一〇、一二五円、以上合計金五二、〇四六円の支払を求め、もし以上の各株券の引渡につき強制執行が功を奏しないときはその限度において、履行にかわる損害賠償として、1、2の会社株式につき本訴提起の日である昭和三八年四月一八日当時の東京証券市場における時価である一株金一三九円の割合による金員、3の会社株式につき同様の時価である一株金一二一円の割合による金員、4の会社株式につき同様の時価である一株金一六三円の割合による金員、5の会社株式につき同様の時価である一株金二七五円の割合による金員の各支払を求める。
(二) 原告は被告から、昭和三七年一月一〇日別紙第二目録記載の株券を代金二五〇、〇〇〇円で買受け、その際原、被告間に、被告は原告がその欲するときに申し込みをすればこの株券を同額で買い取る旨の再売買一方の予約を結んだ。
そこで、原告は被告に対して、約定に従い、本訴状をもつて右株券について、再売買の予約完結の意思表示をする。
よつて、原告は被告に対して、別紙第二目録記載の株券の交付を受けるのと引換えに代金二五〇、〇〇〇円の支払を求める。
と述べ、被告の主張事実及び反訴請求原因事実に対する答弁並びに主張として
一、原告が被告から、昭和三七年四月二〇日金三〇、〇〇〇円の交付を受けたことは認めるが、その余は否認する。
二、原告は、昭和三七年一月に、当時被告会社池袋支店長であつた訴外平塚保彦から請われるままに、被告に対し別紙第一目録記載の株券を「保護預り」の趣旨で預託したものであり、同人に対して被告主張のような委任をしかつそのための代理権限を与えたことはない。(平塚に対して株式取引についての包括的委任があつたとすればその期間、損益計算方法及び時期などが定められるはずであるが、これらについて何ら約定の結ばれたことはなく、またそもそもかような委任はいわゆる売買一任勘定として法令の許容しないところでもある。)従つて、もし被告に対し原告名義による信用取引の委託がなされたとすれば、それは平塚が勝手に原告名義を冒用してなしたものであり、その結果による損失が原告に帰属すべきいわれはない。
もつとも、被告作成にかかる別紙第一目録記載株券の預り証(甲第一乃至五号証)には、その発行目的欄に右預託が「信用取引保証金証券代用」に該る旨の表示があり、さらにまた原告は「信用取引口座設定約諾書」(乙第一号証)及び上記株券を委託保証金(証拠金、以下単に証拠金という)代用に充てる旨の「同意書」(乙第二号証)に署名押印していることは事実であるけれどもこれらはいずれも原告がその無智から平塚の云うがままに交付を受け、かつ署名捺印したものに過ぎない。そして、前項の金三〇、〇〇〇円も、平塚保彦が巧言をもつてその趣旨を明らかにすることなく交付したものに外ならぬ。
と述べた。
第二、被告訴訟代理人は、本訴につき主文第一項同旨及び「訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、反訴につき「原告は被告に対し、金一、一一四、九六一円及びこれに対する昭和三八年九月三日から完済まで年六分の割合による金員を支払え。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決と仮執行の宣言とを求め、本訴に対する答弁及び主張並びに反訴請求の原因として、
一、原告主張事実のうち、被告が原告主張のような証券業者であること及び被告が原告主張の日に主張の株券の預託を受けたこと及び原告から右株券の返還請求があつたことはいずれも認めるが、その余は否認する。
二、被告は昭和三七年一月一〇日、原告との間に有価証券の信用取引口座を設け、原告から株式売買の信用取引の委託を受け、そして前記株券を右信用取引における証拠金の代用として預託されたものである。そしてその際、原告は被告に対し東京証券取引所受託契約準則に従うとともに、被告より証拠金の追加差入れの通知を受けた場合において、その差入れ時限までにこれを差入れないときなどは、証拠金代用証券を何らの催告もなしに適宜処分され債務の弁済に充当されても異議ない旨の信用取引口座設定約諾をした。
かくて、被告は原告の委託により、日本証券金融株式会社(日証金)から金員を借受けて株の買付をし、あるいは原告の委託により株の売付をして、右売付代金をもつて日証金に対する債務を弁済する等の取引を繰返した。
そして、この信用取引は昭和三七年八月一五日までの分については大体証拠金の範囲内であつたが、同月一六日原告から片倉工業株式会社株式二〇、〇〇〇株の買付委託を受けたので、同日右株式二〇、〇〇〇株を一株一八五円で買付けたところ、その後片倉工業株は値下りしたことにより、原告の証拠金が不足を告げるに至つた。そこで、被告は原告に対し、証拠金の追加差入れを請求したが、原告はこれに応じないので、被告は前記受託契約準則第一三条の九に基いて、信用取引を決済するため同年一〇月三〇日片倉工業株二〇、〇〇〇株を一株一三二円で売却処分し、その結果、差引金一、七六二、三二〇円の損失となつた。そこで被告は同準則及び信用取引口座設定約諾に従つて、別紙第一目録記載の株券を同第三目録記載のように処分し、その売却代金合計六四七、三五九円を得たので、これを右損失に充当し、ここに原告に対し金一、一一四、九六一円の債権を有することに確定した。
三、もつとも、上記信用取引の委託は、原告が訴外平塚保彦(昭和三七年一月一〇日被告会社に入社し、同年四月同会社池袋支店長に就任)に委任し、かつ同人を代理人としてこれをなしたものである。これは、さきに原告が訴外江口証券に対して、その頃同証券に勤務していた平塚を介して株券を寄託していたところ、同人が擅に右株券を利用し原告名義を冒用して信用取引を始め、その結果約九〇万円程の損失を生ぜしめたため、やむなく原告がこれを補填したことがあつたことから、この損失を取り戻すべく始められたものであり、その後平塚は原告に同年四月二〇日信用取引から得た利益金として三〇、〇〇〇円を交付し、また何回か自ら原告方を訪れたり、電話連絡したりして取引内容を説明している。
仮に、原告が平塚に右のような委任をしたことがなかつたものとしても、被告は原告に対して、昭和三七年一月から約一年に亘つて「信用取引売付報告書」(乙第六号証の一乃至二〇)、「信用取引買付報告書」(乙第七号証の一乃至四四)、「貸借残高並預り証券照会通知書」(乙第五号証の二、四)などを郵送し、これら書面にはもし異議があれば被告会社検査部長に直接申出るよう附記されているにも拘らず、原告は何ら異議を申し述べなかつたから、ここに平塚が原告名義でなした個々の取引をその都度黙示的に追認したものと云うべきである。
四、よつて、反訴として、被告は原告に対し、信用取引による株式売買受託契約に基き、被告の蒙つた損害賠償として、金一、一一四、九六一円及びこれに対する反訴状送達の日の翌日である昭和三八年九月三日から支払ずみまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。
と述べ、反訴についての原告主張事実に対して、
いわゆる売買一任勘定に関する規則は、証券会社自体が顧客より一任されて取引をなす場合に、過当な取引により有価証券市場の秩序が害されることを防ぐ趣旨で定められたものであり、証券会社の外務員が顧客より任されて取引をした場合を規制するものではないし、また外務員に対する包括委任を禁止している規定でもない。
と述べた。
第三、証拠<省略>
理由
第一、本訴について。
一、被告が証券取引法にいわゆる証券業者であること及び原告が被告に対して昭和三七年一月一〇日別紙第一目録記載の株券を預託したことは、いずれも当事者間に争いがない。
原告は右の預託がいわゆる「保護預り」の趣旨でなされたものと主張する。しかして、「保護預り」は証券会社が顧客の利益のために証券を保管することを主たる目的とするもので、その法的性質は単純な寄託契約に該ると解されるが、本件における株券の預託が右の趣旨でなされたとの証人篠原操及び原告本人の各供述は、後掲証拠に照してたやすく信用することができないところであり、いずれも成立に争いのない甲第八、九号証は、その日付によつて明らかなように昭和三七年一一月中旬に至つて作成されたもので、当時は後に反訴において判示するように原告名義の信用取引口座上の差損勘定が増大し、その負担について紛議の見られる時点であるから、かかる折に被告会社池袋支店長訴外平塚保彦が原告に差入れたこれら書面は、当初の株券預託の趣旨を判断するについての的確な証左とは認め難いし、他に原告の主張事実を肯定するに足る証拠はない。
却つて、いずれも、成立に争いのない甲第一乃至第五号証、乙第一、二号証、証人平塚保彦(第一、二回)、同畠山哲哉、同山本正男の多証言を総合すれば、原告は篠原豊名義を用いて同年一月一〇日、被告との間に有価証券の信用取引口座を設け、被告に対して株式売買の信用取引を委託し、かつ前記株券を右取引における証拠金代用証券として預託したものであることを認めるに十分である。
さすれば、右株券の預託が「保護預り」であることを前提とする原告の請求は、その余の判断を俟つまでもなく理由がない。
二、次に、いずれも成立に争いのない甲第六、七号証、証人篠原操(前記採用しない部分を除く)、同平塚(第一回)の各証言に徴すれば、原告は昭和三六年一二月ないし同三七年二月頃、別紙第二目録記載の株券を代金二五〇、〇〇〇円で買い受け、平塚保彦からその交付を受けたことが認められ、その反証はない。しかしながら、右株券の売主が平塚個人であるか、あるいは同人がその頃勤務していた訴外江口証券株式会社であるか、はたまた被告であるかはさて措き、この売買に際して原告と売主との間で、原告が自己の欲するときに申し込みをすれば売主は右株券を金二五〇、〇〇〇円で買い取る旨の再売買一方の予約がなされたとの原告の主張事実は、これを認めるに足る的確な資料がない。
そうすると、右のような予約の存在を前提とする原告の請求もまた理由がない。
三、以上の次第で、原告の被告に対する本訴請求はいずれもこれを棄却すべきである。
第二、反訴について。
一、本訴において判断したとおり、原告は被告に対し昭和三七年一月一〇日株式売買の信用取引の委託をし、別紙第一目録記載の株券を右信用取引における証拠金の代用として預託したものである。そして、原告が被告から、同年四月二〇日に金三〇、〇〇〇円の交付を受けたことは当事者間に争いがなく、この争いのない事実に、いずれも証人畠山哲哉、同山本正男の各証言により真正に成立したと認める乙第三、四号証、第五号証の二、四、第六号証の一乃至二〇、第七号証の一乃至四四及び証人畠山、同山本、同平塚保彦(第二回)の各証言を総合すれば、上記の委託に基いて、被告は同年一月一〇日頃から同年一〇月下旬までに石川島重工業株式会社株式など二十数銘柄の株式について信用取引による買いまたは売りをして、その結果合計一、七六二、三二〇円の差損金を生じたことが認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。
二、(1) ところで、被告は、前項の信用取引による株式売買について、そのうち昭和三七年八月一五日までの分は、概ね各約定価額に対して証券取引法第四九条、東京証券取引所受託契約準則第一三条の二、第一〇条の二に定める比率の証拠金が預託されていたと主張する。しかしながらそれ以前の分は暫く措き、同年八月一五日に関しては、証人平塚(第二回)の供述の一部にはこの日の分についても右被告の主張に添うような趣旨が述べられているけれども、これは後掲証拠に対比してにわかに採用し難く、他にこの点についての、被告の主張事実を認めるに足る証拠はない。却つて、前顕乙第三、四号証、第五号証の二、四、第六号証の一乃至二〇、第七号証の一乃至四四の記載によれば、本件信用取引は同年五月九日に、さきに同年二月九日に一株一二二円で買付けた日本瓦斯化学株式会社株式一〇、〇〇〇株を一株九六円で売却処分した時分から欠損勘定となり、爾来同様の勘定を続けて、同年八月一三日に、さきに同月四日に一株八七円で買付けた信越化学株式会社株式一〇、〇〇〇株を一株九二円で売却した時点において金六一八、一七九円の差損金を生じていたこと、このような勘定のもとで被告は原告の委託に基き、さらに同月一五日片倉工業株式会社株式五、〇〇〇株を一株一七六円で買い、即日これを一株一八二円で反対売却していること、しかして本件信用取引においては当初上記のように証拠金代用証券として別紙第一目録記載の株券が預託された後は、証拠金の差入れあるいは追加差入れの何らなされないまま推移して来ていることを、それぞれ認めることができる。そして、証券取引所法第四九条、東京証券取引所受託契約準則第一三条の二、第一〇条の二の各規定に基けば、証券業者は顧客から信用取引による売買の委託を受けたときは、証拠金として当該取引にかゝる株券の約定価額の三〇パーセント以上の現金か、または株式が前日の終わり値の七〇パーセント(最高限度)に評価されることから四三パーセント弱以上の証拠金代用証券を差入れなければならないとの趣旨が定められているから、叙上のように片倉工業株五、〇〇〇株を一株一七六円で買付けるに当つては、被告は原告に対し、その約定価額八八〇、〇〇〇円につき二六四、〇〇〇円の現金か、三七八、四〇〇円相当の代用証券を差入れさせることが必要であつたと云わねばならない。(なお、証券取引法第一三〇条第一項の規定によつて、証券業者は顧客から株式売買取引の委託を受けるについては、その所属する証券取引所の定める受託契約準則に拠るべきものといわれているから、顧客としては同準則の知、不知を問わず、証券業者がこれに準拠して受託することに異議を述べ得ないわけであり、延いてひとしく同準則の適用を受けることになる。その上、本件においては、特に原告が被告に対し同準則に従うことを約諾していること前顕乙第一号証に照して明らかである。)そして、証人平塚(第二回)は別紙第一目録記載の株券の時価は、同年八月一五日当時において約八〇万円乃至八五万円であつたと述べており、その反証はないのであるから、右株券の代用価格に当時における前記の欠損勘定を対比すれば、被告が右八月一五日に新規に片倉工業株五、〇〇〇株を買付けるについては、別紙第一目録記載の株券だけでは証拠金として適法十分なものとは云えず、原告に少くとも十数万円に相当する証拠金の差入れを請求しなければならない状態にあつたことは計数上明らかである。ところが、この買付に当つて被告が原告に対し新たに証拠金の差入れを求めたと認むべき的確な証拠はなく、従つて上記認定のように片倉工業株五、〇〇〇株を即日反対売却しているのは、原告が被告の証拠金差入れ請求に応じなかつたため受託契約準則第一三条の九に則つてなされたものではなく、全く被告単独の意嚮による操作と断ずるのほかはない。(もつとも、その結果、欠損金は五六四、二七三円に減少していることが、前示乙第三、四号証によつて認められるけれども)
(2) 一方、被告は本件信用取引による株式売買の委託は、原告が被告の社員平塚保彦に委任し、かつ同人を代理人としてなしたものであると自陳している。そしてなるほど、証人篠原操(ただし一部)、同平塚(第一、二回)、同畠山、同山本の各証言並びに原告本人尋問の結果(ただし一部)を総合すれば、右取引においては当時被告の社員であつた平塚保彦(昭和三七年一月入社して本社営業課長、同年四月から一一月まで池袋支店長)が原告から株式の買付、売却について包括的代理権を与えられ、同人は原告名義で、自ら択んだ時期にその一存によつて決定する銘柄、数量の株式売買を被告に委託してきたものであること、しかして、これよりさき同三五年五、六月頃平塚は江口証券株式会社に勤務しているとき、行きつけの寿司屋の店主である原告と知り合い、同証券浅草営業所長として原告のために株式現物取引、投資信託などの業務を取扱つていたものであるが、その端緒、経緯はともかく、やがて平塚が原告名義を用いて信用取引を始めるようになり、結局右取引による株式売買によつて七〇万円乃至九〇万円の差損金を生ずるに至つたので、同三七年一月頃平塚が江口証券を辞めて被告に移るとともに、原告は、新たに被告との間に信用取引口座を設定して利益を挙げ、従前蒙つた損失の回復を計ろうという平塚の勧めに従つて、同人を通じて本件信用取引を行なうようになり、かつ上記のように同人に買付、売付の委託について包括的代理権限を与えたものであること、そして平塚が被告会社本店から同池袋支店長に就任するとともに、これに随伴して原告の信用取引業務も本店から池袋支店に移つたことが認められる。証人篠原操の証言及び原告本人尋問の結果中、右認定に牴触する部分は採用できず、他にこの認定を左右するに足る証拠はない。
なお、証人平塚(第一回)の証言によれば、平塚は被告会社において外務員を兼ねていたことが窺われるから現行証券取引法第六四条のような規定を欠いていた当時においても、特別の事情の存しない限り本店営業課長のときは外務員として(最高裁昭和三八年一二月三日判決参照)、その後は支店長として(同人が池袋支店長でありながら支配人としての資格は持たず、かつ原告がこの点につき悪意であつたというような被告の主張立証はない)、いずれも顧客から株式売買取引の受託につき被告を代理する権限をも有していたと解すべきであり、従つて平塚は本件信用取引による株式売買の委託受託について、原、被告双方を代理していたことになると云わなければならない。しかしながら、右のように株式売買の受託契約が同一人によつて代理されることによつて、利益の不当に侵害される虞れのあるのは、原則として委託者本人と考えられ、そして本件については前認定の経緯に照して委託者である原告は予め双方代理を許諾していたものと認めるほかないし、他方、原告と平塚との間において右受託契約に伴い受託者である被告の利益を不当に害する虞れのあるような特別の約定(例えば原告に一定の割合の利益を保証する如き)を結んだと認むべき証左もないから、原、被告間の株式受託の契約は平塚の双方代理にも拘らず全面的に有効なものと解するのほかない。
また、「有価証券外務員に関する規則」(昭和二七年一月二七日公正慣習規則第四号)は、その第二〇条の四に「協会員は、その雇傭する外務員が顧客から売買の別、銘柄または数量の決定を自己に委任された有価証券の売買その他の取引の注文を受けることのないようにしなければならない。」とうたい、また「東京証券従業員に関する規則」(同年八月一日公正慣習規則第五号)は、その一一条の四に、「その雇傭する外務員が」の部分が「その役員または従業員が」となつているほかは全く叙上の規則と同一の規定をしているから、平塚が原告から上記のような権限を授与された上、被告のために株式売買の委託を受けることはこれら規則に反するところと云わねばならない。しかしながら、これら規則はいわば証券業者の自治法規であり、これに違背することによつて外務員、従業員が業者内部での問責を受けることはあつても(例えば有価証券外務員に関する規則第二一条第一項六号による外務員の登録取消)、顧客(委託者)と証券業者との間の契約及びこれに基く法律関係の効力が否定されるべきものではない。
三、ところで、証券取引法第四九条に違反して証拠金なしに信用取引による株式売買がなされても、この違法は証券業者と委託者との間の契約及びこれに基づく法律関係の効力に影響を及ぼすものではないが(最高裁昭和四〇年四月二二日判決参照)、右証拠金は株式売買の後に起こる株価の変動に伴つて、証券業者が委託者に対して有することのあるべき債権担保を主たる目的とするものではありながらも他面、その徴収預託の強制が委託者すなわち投資者を不健全な投機から保護し、これらの者にできる限り不当な損害を負担させることのないようにとの配慮に出たものであることも否み得ないところである。そこで、かような証拠金預託の性質に、自治法規とはいえ前項記述のような公正慣習規則が存在すること、併せて前記のような本件信用取引に関する経過等に鑑みれば、被告は遅くとも昭和三七年八月一五日片倉工業株五、〇〇〇株の反対売却をしたのちは、もはや原告から新規に右取引による株式売買の委託を受けること、換言すれば当時の扱店である被告会社池袋支店の支店長平塚保彦がその一存で原告のために売付、買付の委託をなすなどということは、原告から損勘定を補填した上、さらに約定価額に相応する適法な比率の証拠金または代用証券の預託がなされるというような新たな事態の生じない限り信義則上なすべからざることである。そうだとすればかような時点以後において従前の情勢が大した変動もないままに平塚によつて漫然と売買の委託がなされ、被告がこれに応じて株式の買付、売却をしたとしても、かかる不健全な取引の危険は被告自らが負担すべきものと解するのが相当であつて、従つてそのために欠損勘定が増加したとしても、この増加分については原告に賠償を求めることはできないものと云わなければならない。すなわち、被告は原告に対して単に上記八月一五日の片倉工業株五、〇〇〇株を手仕舞した時点における差損額五六四、二七三円の限度においてのみ責任を追及し得るに過ぎないと解すべきである。
しかして、被告が翌八月一六日に片倉工業株二〇、〇〇〇株を一株一八五円で買付け、同年一〇月三〇日これを一株一三二円で売却したことは被告の自ら認めるところであるが、右買付委託が従前どおり平塚が包括的代理権限に基きその一存で決めたものであること、それどころか原告の躊躇を排して敢て行つたものであることは証人平塚(第二回)の供述に徴して明らかであり、その上、右買付に当つて既に預託してある別紙第一目録記載の株券の時価が急騰し、その価格をもつて当時の欠損勘定を補填し、さらに約定価額三、七〇〇、〇〇〇円に相応する代用証券としての価値を充当するに至つたと云うような特段の事由も認められず、被告が原告に対して証拠金の差入れを請求したと認むべき証拠すらないのであるから、叙上に説いたところから、その結果が前第一項で認定したように金一、七六二、三二〇円の欠損勘定に達したとしても、被告は原告に対しそのうち前示金五六四、二七三円を超える金額についてはその責任を求め得ないと云わなければならない。(前顕甲第八号証によれば、平塚は原告に対して、同年一一月一五日に当時の信用取引口座上の欠損勘定について自ら責任を負う旨の書面を差入れていることが認められるが、この事実は、上記のような判断が当時の取引当事者の意識と相距るものでないことを示すものと解される。)そして、被告がその後において別紙第三目録記載のように同第一目録記載の株券を合計六四七、三五九円で売却処分していることその自ら認めるところであるから、ここにこの処分によつて得た金額をもつて、前示五六四、二七三円の欠損勘定は、補填されてなお余りあることになり、従つて被告は原告に対して、もはや本件株式売買受託契約に基き請求し得べき損害賠償債権を持たなくなつたと云わねばならない。
四、以上の次第であるから、被告の原告に対する反訴請求もまた理由がないからこれを棄却すべきである。
第三、よつて、訴訟費用は本訴反訴を通じてこれを二分し、その一を原告の、その余を被告の各負担と定めて、主文のとおり判決する。
(裁判官 中田四郎)